「赤い鳥逃げた」(1985)・・・中森明菜の楽曲。「ミ・アモーレ」の異名同曲(原曲)。
「赤い鳥逃げた・・・」(1986)・・・劇団離風霊船(げきだんりぶれせん)の演劇。
「赤い鳥逃げた?」(1973/日)という東宝映画もあるがここでは無関係。
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1985年8月12日に起きた御巣鷹の尾根「日本航空123便墜落事故」は
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は
520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2012年
8月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である。(ウィキ)
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余りにも衝撃的な事故のため、当時発刊ブームだった写真週刊誌(多くはその後、廃刊)は
こぞって記者を送り込み発行部数を競い合い、他のマスコミ報道も白熱し狂乱状態だった。
劇団離風霊船の「赤い鳥逃げた・・・」は事故の翌年に初上演された。
登場する航空会社や人物は全て実名である。
どこにでもある家庭の夕食時、TVを観ていた父・母・娘の「ある一家」は突如として
TVから飛び出した女性に驚く。 その女性も状況がよく飲み込めず混乱状態だ。
登場人物のセリフに時折「0625」という数字が出て来る。 「0625」とは何なのか?
徐々に「由美」という女性が奇跡的に生還した4名のうちの1人、JALアシスタントパーサー
の落合由美さんであることが分かる。
一方で現在、中学に進学し走り高跳びに挑戦する少女の姿が描かれる。
劇はスプラスティック・コメディのようでもあり、「日航羽田沖墜落事故」(1982)で「逆噴射」
した機長も実名で登場し舞台をかき乱す。
御巣鷹の尾根「日本航空123便墜落事故」で信用失墜した日本航空の広報担当者が、4名の
生存者のうち2人の現在の元気な姿を自粛していたTVのCMに登場させてイメージ回復を図ろう
と画策する。
やがて走り高跳びの少女の名前が「慶子」であり、TVを観ている父・母・娘が事故で亡くなった
「川上」家であることが分かる。
(父親(当時41歳)と母親(同39歳)、そして妹(同7歳))。
日本航空の広報担当者とディレクターが慶子さんをCM出演に、と迫り、
父親がビデオに搭載された「三倍速ビデオリサーチ、超高速全編巻き戻し」によって
・・・「0625」、事故の瞬間の 緊急救難信号の無線発信時刻へ全員が引き戻される。
午後6時25分。
中森明菜の「赤い鳥逃げた」が大音響で響き渡る中、舞台が
お茶の間から大ドンデン返しで
2つに折れた航空機が突き刺さった御巣鷹の尾根に変わる。
アシスタントパーサーの証言がそのままセリフとして語られ・・・幕。
(ここでの「赤い鳥」とは「鶴丸」と呼ばれたJALのシンボルマークに掛けている)
観ていた私は口から心臓が飛び出そうな程、驚いた。
事故の衝撃・悲惨さは到底こんなもんじゃないだろうけれど。
事故は発生後、マスコミの報道合戦と化していたのだ。
多くの被害者・家族の無念さが改めて胸に迫った。
川上慶子さん(12歳)は墜落直後、母は冷たくなっていたが父や妹とは会話を交わし、他にも数人が
近づいて来たヘリが遠ざかって行くのを「何でだろう」という声を聞き、しばらくして周囲は静かに
なっていったと証言したが、12歳以下の証言は認められず事故調査委員会は「四名の生存者
以外は全員が即死もしくはそれに近い状況であった」とした。
医療用の放射性同位体を多量に搭載していたため(事実)、救援ヘリが近づけなかったとか、
現在のようにGPSも発達しておらず、暗闇に火が見えるだけという険しい現場では二次災害
の恐れがあった。 それでも多くの謎が残り、推測も生んだ。
大橋泰彦は「お祭り報道と化すマスコミへの反発が執筆動機」だそうだ。
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1989年に「赤い鳥逃げた・・・」を刊行した際、「あくまでフィクションです」、
「又、この戯曲に関する上演は、当分の間許可できない事をお許し下さい。」と記している。
P.S.
中森明菜がTVで「赤い鳥逃げた」を歌わず異名同曲の「ミ・アモーレ」だけを歌ったため
憶測を呼んだが、「ミ・アモーレの歌詞が好きだから」とか「歌詞が混乱するから」くらいの
理由らしい。曲の発売も5月で、御巣鷹の尾根の事故の8月より早い。
「赤い鳥逃げた・・・」(1986)・・・劇団離風霊船(げきだんりぶれせん)の演劇。
「赤い鳥逃げた?」(1973/日)という東宝映画もあるがここでは無関係。
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1985年8月12日に起きた御巣鷹の尾根「日本航空123便墜落事故」は
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は
520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2012年
8月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である。(ウィキ)
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余りにも衝撃的な事故のため、当時発刊ブームだった写真週刊誌(多くはその後、廃刊)は
こぞって記者を送り込み発行部数を競い合い、他のマスコミ報道も白熱し狂乱状態だった。
劇団離風霊船の「赤い鳥逃げた・・・」は事故の翌年に初上演された。
登場する航空会社や人物は全て実名である。
どこにでもある家庭の夕食時、TVを観ていた父・母・娘の「ある一家」は突如として
TVから飛び出した女性に驚く。 その女性も状況がよく飲み込めず混乱状態だ。
登場人物のセリフに時折「0625」という数字が出て来る。 「0625」とは何なのか?
徐々に「由美」という女性が奇跡的に生還した4名のうちの1人、JALアシスタントパーサー
の落合由美さんであることが分かる。
一方で現在、中学に進学し走り高跳びに挑戦する少女の姿が描かれる。
劇はスプラスティック・コメディのようでもあり、「日航羽田沖墜落事故」(1982)で「逆噴射」
した機長も実名で登場し舞台をかき乱す。
御巣鷹の尾根「日本航空123便墜落事故」で信用失墜した日本航空の広報担当者が、4名の
生存者のうち2人の現在の元気な姿を自粛していたTVのCMに登場させてイメージ回復を図ろう
と画策する。
やがて走り高跳びの少女の名前が「慶子」であり、TVを観ている父・母・娘が事故で亡くなった
「川上」家であることが分かる。
(父親(当時41歳)と母親(同39歳)、そして妹(同7歳))。
日本航空の広報担当者とディレクターが慶子さんをCM出演に、と迫り、
父親がビデオに搭載された「三倍速ビデオリサーチ、超高速全編巻き戻し」によって
・・・「0625」、事故の瞬間の 緊急救難信号の無線発信時刻へ全員が引き戻される。
午後6時25分。
中森明菜の「赤い鳥逃げた」が大音響で響き渡る中、舞台が
お茶の間から大ドンデン返しで
2つに折れた航空機が突き刺さった御巣鷹の尾根に変わる。
アシスタントパーサーの証言がそのままセリフとして語られ・・・幕。
(ここでの「赤い鳥」とは「鶴丸」と呼ばれたJALのシンボルマークに掛けている)
観ていた私は口から心臓が飛び出そうな程、驚いた。
事故の衝撃・悲惨さは到底こんなもんじゃないだろうけれど。
事故は発生後、マスコミの報道合戦と化していたのだ。
多くの被害者・家族の無念さが改めて胸に迫った。
川上慶子さん(12歳)は墜落直後、母は冷たくなっていたが父や妹とは会話を交わし、他にも数人が
近づいて来たヘリが遠ざかって行くのを「何でだろう」という声を聞き、しばらくして周囲は静かに
なっていったと証言したが、12歳以下の証言は認められず事故調査委員会は「四名の生存者
以外は全員が即死もしくはそれに近い状況であった」とした。
医療用の放射性同位体を多量に搭載していたため(事実)、救援ヘリが近づけなかったとか、
現在のようにGPSも発達しておらず、暗闇に火が見えるだけという険しい現場では二次災害
の恐れがあった。 それでも多くの謎が残り、推測も生んだ。
大橋泰彦は「お祭り報道と化すマスコミへの反発が執筆動機」だそうだ。

1989年に「赤い鳥逃げた・・・」を刊行した際、「あくまでフィクションです」、
「又、この戯曲に関する上演は、当分の間許可できない事をお許し下さい。」と記している。
P.S.
中森明菜がTVで「赤い鳥逃げた」を歌わず異名同曲の「ミ・アモーレ」だけを歌ったため
憶測を呼んだが、「ミ・アモーレの歌詞が好きだから」とか「歌詞が混乱するから」くらいの
理由らしい。曲の発売も5月で、御巣鷹の尾根の事故の8月より早い。